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2008年10月28日火曜日

最初にこうしておけば、ああしておけば・・・

KTSK」というブログの「サイゼリヤの謝罪・返金戦略は,強い。」という記事の中で、
●「謝ってしまう」という損害拡大防止策
つまり,専ら日本国内に店舗を設けている同社としては,日本では,『先んじて,大々的に謝れば,叩かれもせず,あるいは好かれる』という考え方に基づき,客離れ・不買運動・道義的な信頼の低下などによる損害を食い止め,会社の価値毀損を防ぎ,もって株主の利益を護る,という行為と見ることもできるからです。

という指摘がありました。
同時に紹介されている落合弁護士のブログの記事
日本人のメンタリティ、カルチャーとして、確かにシンドラー会長が言うような面はあって、刑事裁判の場に限らず「謝る」ということを求められ、そういった姿勢が「赦し」にもつながって行く、そのようなプロセスを経て再び共同体(一種の観念上のものになると思いますが)の構成員として迎え入れられて行く、という側面があるような気がします。

も以前読んだことがあります。

この2つの記事をあわせて読むと、これらの指摘は、普通の個人間のトラブルにもかなり当てはまるところが大きいなぁ、と感じました。

相談を受けていると、
「これだけのケガをさせたら、普通、最初に謝るのでしょう?なのに一切謝らない、腹が立つから謝らせてほしい」
「謝り方がとてもバカにした態度で、謝罪になってない」
等といったものが珍しくありません。

ただし、よくよく聞いていくと、それらのケースでも、「最初にきちんと謝ったり、容態を聞くなどしてお見舞いの言葉をかけておけば、大きなしこりや対立にならなかった」と相談者自身や周囲が自認している場合が多いようにも感じます。

妙なしこりやお互い引けなくなるような対立に至るケースでは、主にお互いに被害がある過失事案で、相対的に被害の小さな当事者が、最初から「誰が悪いのか」といった原因に強く拘りすぎてしまい、相対的に被害が大きかった相手に対し、「私(家族)は悪くない。お前の方にも問題がある。」といったことを口にしてしまい、その相手から、落合弁護士の記事にあるような意味での「赦し」を消し去る、または大きく減退させていることもあります。

よい解決のタイミングを無くしてしまい、双方に「いやなもの」を残してしまいます。

事故などの後、最初に、多少オーバーかもしれないと思う程度に、謝っておけば、それ以上怒りたくても、その怒りが社会的にもっともだと裏付ける具体的な事実がない限り、難しくなります(謝っている人をさらに怒るには、それなりに事情がないと社会的にも理解を得られないでしょう。)。

軽微な事案であればあるほど、逆に「気にしないでください」「仕方ないですよ」「お互い様ですから」といった言葉をもらうことができると思います。

紛争とまでは言わない場合でも、満員電車の中で揺れた際に、足を踏んだり踏まれたりした時に、ごめんなさい、の気持ちで軽く会釈するなどは、「まぁお互い様だし」といってすぐ終わりますが、それでも何もされないでいると結構イライラしたり、させたりするものです。

むろん、何が何でも謝るということを言いたいのではなく、個人間であっても、「何があったのか」の事実確認が大切であることは言うまでもありません。

ただ、事実が堅く確認される前の、一番最初のころの対応が、当事者間の対立の度合い形成にあたって、かなり大事になることが多いということです。

ところで、『先んじて,大々的に謝れば,叩かれもせず,あるいは好かれる』という考え方を、計算ずくで、常に採用している人のケースにも遭遇することがあります。

例えば、大勢の人がみている前で、いきなり相手に土下座し、大声で「申し訳ありません」と言ったりするケースです。
生じた被害の大小や発生の仕方にもよりますが、相手は「まぁまぁ、もういいですよ」「お互い様ですから」といった反応をとることが多いのではないでしょうか?
「何?」「そこまでやらなくてもいいだろう?」などの周囲の目も気になります

相手の前で部下や子どもを大声で叱責したり、手をあげたりする場合もこれに含まれると思います。
もっとも、こういうケースは、それ自体が良い対応と言えませんが、相手にとっては「もういいよ」という「萎え」の気持ち(赦しではなく)を生じさせてしまうという意味での「攻撃としての効果」があるのかもしれません。

このような攻撃としての謝罪は、特に相手が「自分より強い人」だと見切った際に用られているように感じます。

逆に「自分より弱い人」だと見切ると、相手をバカにした発言に及んでしまうようです。

そのためか、こういう計算ずくの凌ぎ方をしてきた人の態度は、どうしてもわざとらしくなってしまいます。

謝罪をされても(しても)、本心がすぐ見透かされてしまうのであって「あなた、大々的に謝ればすむと思ってるでしょ?でも中身、誠意がないですよ」と指摘されてしまいます。
そんな時、相手はすぐ大声で「失礼だ」とか「言ってよいことと悪いことがある」などと怒ったりしますが、すぐ怒ってしまうこと自体、謝罪が本音ではないことがバレてしまうので、逆効果ですよね。

その点、本当の意味で謝罪のうまい人は、何を言われても絶対に大声をあげたり、怒ったりせず、謝罪を繰り返すなどして、怒っている人を味方につけてしまいます。

途中からとりとめなくなってしまいましたが、「最初に謝っておけばこんなにこじれなかったのに・・・」と思うことが多いなと思い出した次第です。

2008年10月23日木曜日

迷惑な営業電話

きまぐれノート(仮題)」 というブログの「ヘッドハンター」 という記事で、ヘッドハンターらしき人の電話営業のことが書かれています。

「どうも質の悪いヘッドハンターが増えてきているような気がします。」
「私に回してもらう際に、『○○先生の引き継ぎで』 とか『○○先生の関係で』だとか、平気で嘘の用件を言う人たちがいるのです」

とあり、苦言を呈しています。
コメント欄には 「法律事務所の事務員のフリするとか」の事例も書かれています。
いろいろあるようです。

ヘッドハンター云々は私とは全く縁がありませんが、たしかに悪質だなと思う営業電話が目立つように思います。
なかでも「依頼者を装う」 ものは特に困るものであり、悪質です。
詳しく書くと真似されて困るので、書けませんが。

かかってきた電話に一番最初に対応するのは、代表電話をとる事務職員ですが、事務職員も、依頼者であれば当然、その他関係者の場合であっても、 応対には神経を使います。

むろん事業者は(迷惑とはいえ)営業電話はある意味で仕方ないことかもしれないので、対応の切り分けや無用な電湾の撃退方法 ・見分け方に工夫を凝らさなければなりません。

そのため、こういう「嘘」の要件の電話は、要否などの見極めのために、事務職員の負担を増加させるばかりで、神経も消耗させるものであり、本来の事業に少なからず支障を来します。
困ったものです(依頼者を装われると、見極めのための対応が、 本当の依頼者に対して失礼になってしまうこともあります。)。

以前、その手の電話を事務局が騙されて私につないでしまった時も、私が電話に出るやいなや「すいません、嘘ついてしまいました!」 と相手が言ったことがあり、その時は文字通り失笑しましたが、本音は全く笑えないです。
電話は仕事を中断させるからで、その価値がない電話には強い憤りを覚えます。

最近、当事務所に、「A社ですが、○○弁護士はいますか?」「不在です。戻りません。(ホント)」と答えたわずか5分後に、 同じ会社の別の人から「B社ですが、○○弁護士はいますか?」との電話がかかってくることが増えています。
まるで「追い込み」 をかけるような電話ですね。やめてほしいです。


2008年10月15日水曜日

「インターネット消費者被害の技術的構造と実践的予防策」(神田知宏弁護士:二弁フロンティア連載)

第二東京弁護士会の会報「二弁フロンティア」で、「インターネット消費者被害の技術的構造と実践的予防策」(神田知宏弁護士)という連載が3回連続で掲載されています。

現在まで第1回(2008年8・9合併号12頁)、第2回(同10月号12頁)が掲載されています。

二弁の消費者問題対策委員会研修会の講演録のようです。

既に知識のある人は目新しいことはないでしょうし、当たり前のことすぎるかもしれません。

ただ、この分野について馴染みがない人や、「私は苦手」「わからない」といった抵抗感がある人にとって、かなりわかりやすいものと思われます。
実例や実際の画面などを用いながら、技術的観点と法的観点を分けて記載されており、言葉だけではイメージが全く持てない人には重宝すると思います。

また、この種の相談を多く受け、現場で苦労されている消費生活相談員の方々にとっても、大変役立つものと思われます。