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2008年11月21日金曜日

最初にこうしておけば、ああしておけば・・・(2)

山口利昭弁護士の「ビジネス法務の部屋」で、現在NHKで放映中のドラマについて「「ジャッジⅡ島の裁判官奮闘記」は法律家からみても素晴らしい内容です」という記事があります。
その中で、「紛争はどのように解決されるべきなのか」という点に関連して、ご自身の体験例として、次のような指摘をされています。
長年、美容整形の被告(医師側)代理人をつとめておりますが、裁判にまで発展する美容整形トラブルのうち、8割程度は「もしトラブル発生直後の医師もしくは看護師の対応が誠実なものだったら、謝罪で済むか、もしくは簡単な示談が成立していたはず」だと私は確信しております。裁判員制度が開始されるいまこそ、裁判官の方々にも、紛争はどのように解決されるべきなのか、あらためて知っていただきたいと思います。

このなかの「裁判にまで発展する美容整形トラブルのうち、8割程度は「もしトラブル発生直後の医師もしくは看護師の対応が誠実なものだったら、謝罪で済むか、もしくは簡単な示談が成立していたはず」という部分は、美容整形トラブル・医師看護師の方々だけに限らないものであって、他の様々な事案に該当しうる、と強く共感を覚えました。

「最初の対応が丁寧だったらなぁ。ちゃんと謝っていればなぁ、こんな面倒なことにならずに、もっと簡単に済んだのになぁ」と、よく感じます。
むろん、案件の種類にもよりますが、それを実践しても「簡単に済ませない、済ませられない」方もおりますから、定式化しきれないことはあります。
だからこそ、「簡単に済まない」事態になった場合の解決のあり方は、巻き戻せない時間と同じで、とても骨が折れる面があります。代理人、裁判所、依頼者、みながそれぞれ努力され、打開できそうもない中で、良い解決策が見えた際には、何とも言えない感慨が生まれるものです(ただし、代理人、裁判所、調停委員、などは、それぞれの個性がありますから、全部が全部こうなるわけでもなく、逆に揉めてしまう原因になることもあります。)。

先日の記事「最初にこうしておけば、ああしておけば・・・」で書きましたように、、一番最初のころの対応が、当事者間の対立の度合い形成にあたって、かなり大事になることが多いことの一例だと、山口弁護士の記事を読んで改めて思いました。

2008年11月12日水曜日

グラウンド外のレフェリー(ラグビー)

10月30日付け朝日新聞朝刊スポーツ面に「グラウンド外のレフェリー」という署名記事がありました。
それはラグビーにおける出場停止などの処分を決める組織と手順に関する記事です。その中に次のような行があります。

「グラウンド外のレフェリー」と呼ばれるサイティング・コミッショナーとジュディシャル・オフィサー。前者はレフェリー経験者らが担い、試合全体を映像で一から再検証。悪質なものを洗い出して選手らに事情聴取する。報告を受けて処分内容を決めるものが後者。こちらはラグビーに詳しい法律関係者が多い。「初犯」か「常習犯」かといった部分まで精査は及ぶ。


JRFU(日本ラグビーフットボール協会)のサイトにある「IRB競技に関する規定」をみてみると、そこには
17.7.1(v)規律委員会の委員長またはジュディシャル・オフィサーは、少なくとも7年間、法律実務家として高い地位に就いていた者または現役もしくは退役裁判官であるものとし、ラグビーの規律に関する手続きの経験を有する者が望ましい。規律委員会の残りの2名の委員は、ホスト協会が任命するものとし、そのうち1名は著名な元選手とし、他の1名はラグビーの運営において優れていた者または法律家としての資格を有する者とし、ラグビーの規律に関する手続きの経験を有する者が望ましい。
とあります。

※赤字は私が付したものです。


つい先日、このジュディシャル・オフィサーを、知り合いの弁護士が務めていることを知りました。
彼は高校時代に花園に出場し(ただし予選でケガをして本大会には出られなかったと聞いたことがあります)、記憶に間違いがなければ、有名な強豪に抽選負けした世代だったはずです。
彼が話していたのは、IRBの講習会を受けたこと、原則として24時間以内に判断を下さなければならないこと、まだまだ人数が少ないこと、ワールドカップの日本開催に向けて頑張っていること、でした。

その話を聞いた時に「24時間以内の判断は大変だな」と思ったので、改めてJRFUのサイトにある「IRB競技に関する規定」をみると、
17.8.11退場を伴う事件については、実務上可能な限り、プレーヤーが退場を命ぜられた試合終了後24時間以内に判定を下すものとする。
とありました。

法律専門家が関わるとはいえ、かなり大変だ、でも適時の解決という意味では重要だな、と感じました。

ところで、ドーピングの項をみていると、
21.21 アンチ・ドーピング規定違反を扱う規律委員会(Judicial Committeees Dealing with Anti-Doping Rule Violations)
アンチ・ドーピング規定に基づいた制裁措置を含む判例を検討する規律委員会は、通常以下の3人のメンバーで構成されるものとする:
a) 経験豊富な法律実務家で委員長を務める者;
b) スポーツにおけるドーピング及びアンチ・ドーピング規定に詳しい著名な医療実務家;及び
c) 上記の(a)あるいは(b)のカテゴリーに含まれる者あるいは適切な経験と知識を有するラグビー・フットボールの元プレーヤー又は役員
その他、かなり司法手続についての規定が整備されていました。

これを思うと、昨年、ある人気スポーツで起きた選手に対する制裁措置とその取消手続の過程を振りかえると、制裁を加えた側の対応は大変おそまつなもので、制裁を下した組織の人選にも公正さを欠いていた印象は否めません。

参考記事(サポティスタ内)

2008年10月28日火曜日

最初にこうしておけば、ああしておけば・・・

KTSK」というブログの「サイゼリヤの謝罪・返金戦略は,強い。」という記事の中で、
●「謝ってしまう」という損害拡大防止策
つまり,専ら日本国内に店舗を設けている同社としては,日本では,『先んじて,大々的に謝れば,叩かれもせず,あるいは好かれる』という考え方に基づき,客離れ・不買運動・道義的な信頼の低下などによる損害を食い止め,会社の価値毀損を防ぎ,もって株主の利益を護る,という行為と見ることもできるからです。

という指摘がありました。
同時に紹介されている落合弁護士のブログの記事
日本人のメンタリティ、カルチャーとして、確かにシンドラー会長が言うような面はあって、刑事裁判の場に限らず「謝る」ということを求められ、そういった姿勢が「赦し」にもつながって行く、そのようなプロセスを経て再び共同体(一種の観念上のものになると思いますが)の構成員として迎え入れられて行く、という側面があるような気がします。

も以前読んだことがあります。

この2つの記事をあわせて読むと、これらの指摘は、普通の個人間のトラブルにもかなり当てはまるところが大きいなぁ、と感じました。

相談を受けていると、
「これだけのケガをさせたら、普通、最初に謝るのでしょう?なのに一切謝らない、腹が立つから謝らせてほしい」
「謝り方がとてもバカにした態度で、謝罪になってない」
等といったものが珍しくありません。

ただし、よくよく聞いていくと、それらのケースでも、「最初にきちんと謝ったり、容態を聞くなどしてお見舞いの言葉をかけておけば、大きなしこりや対立にならなかった」と相談者自身や周囲が自認している場合が多いようにも感じます。

妙なしこりやお互い引けなくなるような対立に至るケースでは、主にお互いに被害がある過失事案で、相対的に被害の小さな当事者が、最初から「誰が悪いのか」といった原因に強く拘りすぎてしまい、相対的に被害が大きかった相手に対し、「私(家族)は悪くない。お前の方にも問題がある。」といったことを口にしてしまい、その相手から、落合弁護士の記事にあるような意味での「赦し」を消し去る、または大きく減退させていることもあります。

よい解決のタイミングを無くしてしまい、双方に「いやなもの」を残してしまいます。

事故などの後、最初に、多少オーバーかもしれないと思う程度に、謝っておけば、それ以上怒りたくても、その怒りが社会的にもっともだと裏付ける具体的な事実がない限り、難しくなります(謝っている人をさらに怒るには、それなりに事情がないと社会的にも理解を得られないでしょう。)。

軽微な事案であればあるほど、逆に「気にしないでください」「仕方ないですよ」「お互い様ですから」といった言葉をもらうことができると思います。

紛争とまでは言わない場合でも、満員電車の中で揺れた際に、足を踏んだり踏まれたりした時に、ごめんなさい、の気持ちで軽く会釈するなどは、「まぁお互い様だし」といってすぐ終わりますが、それでも何もされないでいると結構イライラしたり、させたりするものです。

むろん、何が何でも謝るということを言いたいのではなく、個人間であっても、「何があったのか」の事実確認が大切であることは言うまでもありません。

ただ、事実が堅く確認される前の、一番最初のころの対応が、当事者間の対立の度合い形成にあたって、かなり大事になることが多いということです。

ところで、『先んじて,大々的に謝れば,叩かれもせず,あるいは好かれる』という考え方を、計算ずくで、常に採用している人のケースにも遭遇することがあります。

例えば、大勢の人がみている前で、いきなり相手に土下座し、大声で「申し訳ありません」と言ったりするケースです。
生じた被害の大小や発生の仕方にもよりますが、相手は「まぁまぁ、もういいですよ」「お互い様ですから」といった反応をとることが多いのではないでしょうか?
「何?」「そこまでやらなくてもいいだろう?」などの周囲の目も気になります

相手の前で部下や子どもを大声で叱責したり、手をあげたりする場合もこれに含まれると思います。
もっとも、こういうケースは、それ自体が良い対応と言えませんが、相手にとっては「もういいよ」という「萎え」の気持ち(赦しではなく)を生じさせてしまうという意味での「攻撃としての効果」があるのかもしれません。

このような攻撃としての謝罪は、特に相手が「自分より強い人」だと見切った際に用られているように感じます。

逆に「自分より弱い人」だと見切ると、相手をバカにした発言に及んでしまうようです。

そのためか、こういう計算ずくの凌ぎ方をしてきた人の態度は、どうしてもわざとらしくなってしまいます。

謝罪をされても(しても)、本心がすぐ見透かされてしまうのであって「あなた、大々的に謝ればすむと思ってるでしょ?でも中身、誠意がないですよ」と指摘されてしまいます。
そんな時、相手はすぐ大声で「失礼だ」とか「言ってよいことと悪いことがある」などと怒ったりしますが、すぐ怒ってしまうこと自体、謝罪が本音ではないことがバレてしまうので、逆効果ですよね。

その点、本当の意味で謝罪のうまい人は、何を言われても絶対に大声をあげたり、怒ったりせず、謝罪を繰り返すなどして、怒っている人を味方につけてしまいます。

途中からとりとめなくなってしまいましたが、「最初に謝っておけばこんなにこじれなかったのに・・・」と思うことが多いなと思い出した次第です。

2008年10月23日木曜日

迷惑な営業電話

きまぐれノート(仮題)」 というブログの「ヘッドハンター」 という記事で、ヘッドハンターらしき人の電話営業のことが書かれています。

「どうも質の悪いヘッドハンターが増えてきているような気がします。」
「私に回してもらう際に、『○○先生の引き継ぎで』 とか『○○先生の関係で』だとか、平気で嘘の用件を言う人たちがいるのです」

とあり、苦言を呈しています。
コメント欄には 「法律事務所の事務員のフリするとか」の事例も書かれています。
いろいろあるようです。

ヘッドハンター云々は私とは全く縁がありませんが、たしかに悪質だなと思う営業電話が目立つように思います。
なかでも「依頼者を装う」 ものは特に困るものであり、悪質です。
詳しく書くと真似されて困るので、書けませんが。

かかってきた電話に一番最初に対応するのは、代表電話をとる事務職員ですが、事務職員も、依頼者であれば当然、その他関係者の場合であっても、 応対には神経を使います。

むろん事業者は(迷惑とはいえ)営業電話はある意味で仕方ないことかもしれないので、対応の切り分けや無用な電湾の撃退方法 ・見分け方に工夫を凝らさなければなりません。

そのため、こういう「嘘」の要件の電話は、要否などの見極めのために、事務職員の負担を増加させるばかりで、神経も消耗させるものであり、本来の事業に少なからず支障を来します。
困ったものです(依頼者を装われると、見極めのための対応が、 本当の依頼者に対して失礼になってしまうこともあります。)。

以前、その手の電話を事務局が騙されて私につないでしまった時も、私が電話に出るやいなや「すいません、嘘ついてしまいました!」 と相手が言ったことがあり、その時は文字通り失笑しましたが、本音は全く笑えないです。
電話は仕事を中断させるからで、その価値がない電話には強い憤りを覚えます。

最近、当事務所に、「A社ですが、○○弁護士はいますか?」「不在です。戻りません。(ホント)」と答えたわずか5分後に、 同じ会社の別の人から「B社ですが、○○弁護士はいますか?」との電話がかかってくることが増えています。
まるで「追い込み」 をかけるような電話ですね。やめてほしいです。


2008年10月15日水曜日

「インターネット消費者被害の技術的構造と実践的予防策」(神田知宏弁護士:二弁フロンティア連載)

第二東京弁護士会の会報「二弁フロンティア」で、「インターネット消費者被害の技術的構造と実践的予防策」(神田知宏弁護士)という連載が3回連続で掲載されています。

現在まで第1回(2008年8・9合併号12頁)、第2回(同10月号12頁)が掲載されています。

二弁の消費者問題対策委員会研修会の講演録のようです。

既に知識のある人は目新しいことはないでしょうし、当たり前のことすぎるかもしれません。

ただ、この分野について馴染みがない人や、「私は苦手」「わからない」といった抵抗感がある人にとって、かなりわかりやすいものと思われます。
実例や実際の画面などを用いながら、技術的観点と法的観点を分けて記載されており、言葉だけではイメージが全く持てない人には重宝すると思います。

また、この種の相談を多く受け、現場で苦労されている消費生活相談員の方々にとっても、大変役立つものと思われます。


2008年9月20日土曜日